会社概要・沿革
会社概要
社名 | 佐藤電機株式会社 |
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所在地・ 連絡先 |
〒577-0808 東大阪市横沼町2丁目5番17号 |
代表取締役 | 佐藤 賢治 |
設立 | 昭和57年8月/創業:昭和34年6月 |
事業内容 | 電気工事設計・施工 |
主要取引先 | 大和ハウス工業株式会社、大和リース株式会社、東大阪市、グローバル・テック株式会社、ロイヤルホームセンター株式会社、株式会社ビバホーム 他 |
建設業許可 | 大阪府知事許可 電気工事業 特-4 第63216号 大阪府知事許可 電気通信工事業 消防施設工事業 般-5 第63216号 電気工事業者届 大阪府知事届出 第57-0101号 |
社員数 | 9名 |
TEL/FAX | TEL:06-6725-1050 FAX:06-6725-1078 |
沿革
昭和34年6月 | 佐藤電機工業所 創立 東大阪市岸田堂南町、資本金500万円 |
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昭和56年9月 | 大阪市生野区へ大阪支店開設 |
昭和56年11月 | 東大阪市横沼町へ本社移転 |
昭和57年8月 | 株式会社 佐藤電機工業所 設立 |
昭和57年9月 | 資本金1,000万円へ増設 |
昭和60年9月 | 資本金2,000万円へ増設 |
平成4年3月 | 佐藤電機株式会社へ社名変更 |
平成13年2月 | 代表取締役 佐藤賢治 就任 |
平成21年6月 | 創立50周年 |
平成31年6月 | 創立60周年 |
令和6年6月 | 創立65周年 |
創業ストーリー
194X
創業第零期

佐藤電機の始まりは、創業者である佐藤重夫氏が、戦後の復興時期にトランジスタラジオの販売をしていたところからである。日本が戦争を終えて物資が不足していた当時、ラジオを自らの手で製作・修理そして販売をする事業は、市場のニーズと合致しており、日本の復活と共に伸びていった。
ラジオの製作で身に着けた電気技術の知識は、次第にラジオだけでは収まらなくなり、佐藤電機の事業の幅は徐々に広がっていくことになる。東大阪市の地場工場を回って電気設備(変電室など)の保安・保全業務の依頼が徐々に増え、現場へ出向き、職人と一緒に現場作業をしていた。
1959昭和34年
設立



佐藤重夫氏の想いは個人の事業では収まらないものになっていた。自身の生計を立てていくだけではなく、企業として大きくしていきたいという志を持つようになっていた。時代は高度経済成長期、日本の急速な成長に合わせて、世の中の建設に対する投資も増え、会社の業績を伸ばすことができた。
昭和34年(1959年)、佐藤重夫氏は東大阪市岸田堂南町2丁目の地に(株)佐藤電機工業所を創業。法人化を通して本格的な事業として立ち上げることに。
1959〜2001昭和34年〜平成13年
第一創業期


日本が成長をしていく時代を背景に企業として成長をしていった。工場の工事にあわせて、この時期にスタートしたのが大和ハウス工業様とのつながりである。
大和ハウス工業様との取引は、現在の佐藤電機の業績を支える大きな存在であるが、取引開始当初は監理業務ができる人材がいなく、1現場を対応するにも四苦八苦していた。しかし、そのような時期に、あきらめるのではなく、自社で技術を内製化させる方針を取ったことが、現在の佐藤電機の技術力につながっている。
2001〜2018昭和13年〜平成30年
第二創業期


佐藤賢治が社長に就任した平成13年、佐藤電機の第二創業期がスタートする。社長として経営の実権を握ることになった佐藤賢治は代々当時からの想いをより具体的な行動として起こしていくこととなる。
最初に取り組んだことが、社員の意識改革であった。「謙虚な気持ち」「感謝する気持ち」という基本方針を掲げ、社員に目標と行動の重要性を伝え続けた。
また、現場業務の効率化を実現させるため、会社の組織体制も変革させる。監理業務(施工図作成)、設計部、積算部と役割分担を行うこととすることにより、現場業務の効率化を実現。今までの保有現場数の限界を超えることに成功した。
2018〜現在平成30年〜現在
第三創業期



そのような成長を遂げてきた佐藤電機にも人手不足が大きく影響するようになった。建設業特有の3Kのイメージは若手技術者が集まらないという事象につながるようになった。
その中で佐藤電機が出した答えが「規模を追求せず、若手技術者が集まり育つ環境作り(仕事作り)にチャレンジすること」である。佐藤電機が新たな成長戦略に舵を切ったとき、第三創業期が始まる。
働く環境作り、積極的な新規事業展開を取り組み実践して、新3K(かっこいい、かせげる、かんどうがある)を本気で目指し、人が集まる会社を目指し成長をしていく。